高見沢隆の詩的ライフ

軽井沢の木陰に吹く風のように、高原の空を渡る白い雲のようにワタクシの詩的な生活を綴ります。

2024-01-01から1年間の記事一覧

『明治期、日本の避暑地』からいま一つはっきりしなかったこと

こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。 小著『明治期、日本の避暑地』(龍鳳書房)の発刊から約半年ほど経ちました。そのなかで今一つはっきりしなかった事項について考えてきました。 「Gleanings From Japan」 Walter G. Dickson ( William Blackwood a…

キーリングの日本案内書

こんにちは。 明治十四年にはアーネスト・サトウ卿の『中部・北部日本旅行案内』が発行されていて多くの外国人はこれを参考にしています。ショー司祭についてもこれを参考にして軽井沢高原を訪れたことが考えられます。A・C・ショー司祭がこれを参考にしてい…

軽井沢の別荘の第一号

こんにちは。 明治時代の別荘(サマーコテイジ)は当時、使われなくなった旅籠などの建物を再利用しています。その建物がどのくらいあるか、なた、使用していない土地がどれくらいあるかで別荘の建築数が異なってくるでしょう。 A・C・ショー司祭が旧軽井沢…

明治十九年、軽井沢の避暑地は始まった

こんにちは。 軽井沢の避暑地は明治十九年に始まったと前に書きましたが、それは次の新聞記事によります。 「外国人の避暑 本年は外国人の碓氷峠近辺の社寺又は農家を借受けて暑を避くる者甚だ多く是は 伊香保温泉最寄の過日コレラ患者のありしの因るならん…

三峰神社に行ってきました

こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。 昨日、秩父にある」三峯神社に行ってきました。 長瀞を通り、神社へと坂道を登り始めましたが、連休の中日でした。 車がいやに多い。途中まで快適に登りました。ところが途中、車が渋滞にハマってしまいました。 動…

明治十年の軽井沢追分宿

こんにちは。 E・G・ホルサムは鉄道建築技師(御雇外国人)として日本を訪れました。明治政府は日本の近代化のため多くの外国人を雇い、外国の文化に近づけるため努力をしていました。なかでも英国からは多くの教師を迎えています。 ホルサムは休暇を利用…

ハリー・パークス卿と浅間山

こんにちは。 ハリー・パークス卿は英国の公使として在日中に日本各地に旅をしています。 日光については明治三年に外国人として初めて訪れております。明治三年は日本政府が日光を外国人に開いた年でもありました。ハリー・パークス卿はその旅で軽井沢の信…

離山で迷子になったころ

こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。 今日、軽井沢の離山を通り過ぎたとき、妙に小さい頃のことを想い出しました。小学校3年生くらいだったと記憶していますが、友達と離山に遊びにいきました。離山は登山という感覚の山ではありません。いつもわたくし…

軽井沢が避暑地化するのは明治十九年の峠町から

こんにちは。 明治十九年というのは、軽井沢が避暑地化に向かった年です。いままで明治十九年はA・C・ショーが軽井沢を初めて訪れたといわれてきましたが、そうではないことが判りました。この明治十九年はコレラが流行していた年で、群馬の温泉でもそれが猛…

明治期、日本の避暑地 : 日光・箱根・軽井沢を拓いた外国人

こんにちは。 今回は小生の著書『明治期、日本の避暑地:日光・箱根・軽井沢を拓いた外国人』について紹介します。 かつての書物は多くが日本人からの視点でのものでした。今回の著作は明治時代に日本を訪れた外国人の旅行記に眼をむけて書きました。外国人…

保養地軽井沢を発見した外国人はW・ウィリス

こんにちは。 軽井沢を発見した外国人についてはA・C・ショー司祭といわれてきたが、それもさらに調査をすれば慶応四年(明治元年)に軽井沢からハリー・パークス卿に」手紙を書いたW・ウィリス(医師)ということが判ってくる。 ウィリスは慶応四年十月…

A・C・ショーは明治十五年に軽井沢を訪れた

こんにちは。 いままでA・C・ショー司祭は軽井沢に明治十七年か十八年に訪れたとされてきました。それは過去に出版された書籍からそのように理解されてきましたが、それが今回、新たな資料により軽井沢にA・C・ショーが訪れたのは明治十五年ということが判り…

高見沢隆の詩的ライフ

高見沢隆(たかみざわたかし)、詩人です。長野県生まれ。 桜美林大学文学部英語英米文学科を卒業し、軽井沢町役場に入庁。 大学では詩誌「水晶」同人。その後、詩誌「オルフェ」ー(山室静氏等の雑誌「近代文学」の同人が多く活躍していた)ーを経て、1996…